「幕末太陽傳」特集!vol.1

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「幕末太陽傳」は、宝塚歌劇では初演になります。
「ばくまつたいようでん」と読みます。
古典落語を組み合わせ、実在した品川の旅籠「相模屋」を舞台に繰り広げられるミュージカル・コメディです。
2017年の雪組公演では、トップコンビ早霧せいな、咲妃みゆの退団公演であり、103期生の初舞台公演となっています。

 

「幕末太陽傳」って??

元々は1957年に映画化されていた作品です。
監督・脚本は川島雄三。
川島監督は、深刻な社会問題を真っ向から取り上げるのではなく、面白おかしく、肯定的・喜劇的に描きました。
「幕末太陽傳」はその代表作となります。
古典落語「居残り佐平次」を中心に、「三枚起請」「お見立て」「品川心中」を組み合わせて構成されています。
他にも「文七元結」「船徳」などに出てくる、登場人物の名前やセリフも散りばめられています。

落語が好きな方は、特に楽しめますね。
これを機会に、落語を聞いてみようと思うかもしれませんね。

 

あらすじは??

幕末の品川宿。
実在した品川の遊廓・相模屋。
一文無しのまま相模屋を訪れ、女郎おそめを揚げて大尽遊びに興じた佐平次は、翌朝飄々と居残りを決め込んでしまう。
そして番頭まがいの仕事を始め、次々と起きる騒ぎを持前の度胸と機転で解決しては、お礼の金をちゃっかり貯めこんでいた。
相模屋で攘夷の計画を練る高杉晋作らとも交友を深め、いつしか佐平次は、廓の人気者となるのだが…。

 

実在した品川宿って??

江戸時代、東海道五十三次の最初、日本橋から数えて一番目の宿場町として栄えました。
場所は現在の東京品川区。
京急本線の北品川駅から、青物横丁駅の辺り一帯を「品川宿」と言っていました。
北品川駅から青物横丁駅までは2駅なので、頑張れば歩ける距離ですね。
その間の新馬場駅の辺りに目黒川が横切っていますが、その目黒川を境に、北が北品川宿、南が南品川宿と呼ばれていました。
品川宿は五街道の中でも、重要視された東海道の初宿であり、西国へ通じる陸海両路の江戸の玄関口として賑わいました。
品川宿も、他の宿場がそうであったように、岡場所(色町、遊郭、飯盛旅籠)としても賑わっていました。
当時「北の吉原、南の品川」と称されるほど、一大遊興地として繁栄しました。
数多くの古典落語の舞台にもなっています。
しかし、明治5年になり、宿駅制の廃止と鉄道の開通によって、宿場町としての機能は失われてしまいます。
それでも北品川では多くの遊郭が営業を続けたことから、関連の商業施設が立ち並びます。
目黒川流域の低地には、地価の安さや水運などの便から大規模工場が立地。
その周辺の南品川では、下請けの小規模工場やその関連住宅が増え、商店も旧東海道沿いに立ち並びました。
その後も、この地域では第二次世界大戦の戦災をほぼ受けなかった為、戦後も北品川の遊郭は営業を続けます。
しかし、昭和33年に売春防止法が施行され、工場の従業員寮や民間アパートなどに変化し、商店街が形成されていきました。

 

実在した相模屋って??

江戸時代の品川宿は「旅籠百軒」と謳われ、旅籠が軒を連ねて大いに賑わいました。
その中でも幕末の志士たちが使ったことで知られるのが、この相模屋です。
外壁が土蔵のような海鼠(なまこ)壁であったことから、「土蔵相模」と呼ばれていました。
水戸浪士たちが大老・井伊直弼を討った、桜田門外の変。
彼らが決行前日に今生訣別の酒宴を張ったのが、この相模屋でした。
その約2年半後。
相模屋に集結したのが、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔、赤根武人、有吉熊次郎ら松下村塾出身者。
そして、志道聞多(しじぶんた)、松島剛蔵ら長州の12人でした。
彼らの目的は攘夷の先鋒として、外国公使館を焼き討ちする事でした。
このように相模屋は、幕末の歴史の舞台となった場所です。
現在は、マンションとコンビニになっています。

 

作品の中心となっている「居残り佐平次」って??

「居残り佐平次」は、古典落語のひとつです。

あらすじは…
貧乏人が集まったとある長屋。
その輪にいた佐平次が、「品川宿にある遊郭に繰り出そう」と言い出した。
お金もないのにどうやって?と思いながらも、みんなで品川へ。
一泊した後、佐平次は「実は結核を患っていて、転地療養を勧められていたからここに残る」と言い、他の仲間を帰した。
その後若い衆に勘定は?と言われ、「他の仲間が持ってくる」と誤魔化し、居続けた。
何日か誤魔化し続けたが、「お金なんてもってないよ」と言い、店は騒然となる。
佐平次は少しも応えず、自ら店の布団部屋に籠城する。
やがて店は忙しくなり、居残りどころではなくなった。
佐平次は勝手に客の座敷に上がり込み、接客を始めた。
それが店の若い衆よりも上手かったので、客から指名が来るようになる。
これでは若い衆の立場がない。
そこで「勘定はいらないから出て行ってもらおう」となり、佐平次は追い出される。
しかし佐平次は、「俺の名は、遊郭の居残りを職業にしている佐平次ってんだ」と言って去って行った。

50代のある落語家は、「私の歳じゃまだ出来ません」と話すほど、難しいハードルの高い噺みたいです。
そのくらいの噺なので、ふらっと寄席に入ってこの噺がかかっている、と言う事はほとんどないようです。
もしこの噺が聞きたければ、DVDやCDなどで鑑賞するのが手っ取り早いかもしれません。

 

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2 thoughts on “「幕末太陽傳」特集!vol.1

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